料理人

2022年06月19日 

私は、15年ほど前から、小さな飲食店を営んでおり、自分で料理もいたします。最近は現場引退してサボっておりますが、まだ、人でが足りない時には料理したりします。
かれこれ、10年ほど前にお店のお客さん(当時60歳くらいの男性のお客さん)から、こう聞かれました。

「君は料理ってなんだと思う?」

例えば、煮たり焼いたりという調理の作業に愛情が加わると、又は、商業的なサービスが加わると、はたまた、何かアイディアが加わると、料理と言えるのかしら…。などと、色々考えられますね。私も質問された瞬間、そんなことが頭をぐるぐるして、すぐに答えられなかったのを覚えております。

ちなみに、この60歳のお客さん、ムショ上がりでホヤホヤで、刑務所の中で暇で本ばっかり読んでしょう。いろんなことをよく知っておりました。

さあ、ここで「料理」という漢字を見てみましょう。
料は、米篇に、一斗二斗というはかる単位の斗、そして理は理り、理由、筋道をたてるという意味合いがあります。ということで、料理という漢字は、「理を持って米を計る」と示してあることが分かります。
昔、中国で料理人というと、村や町、集落など、ある地域で、食料を配給する人を指していたそうです。
これは、そのムショ上がりのお客さんから聞いた話で、本当かどうかわからないのですが、私にとって腑に落ちた内容なのでちょっと引用します。

この配給する人は、ただ配給するだけでなく、各家庭にどれくらい配給するかという量も決めていたそうです。
例えば、2つ家族があったとします。
一方は年老いた老夫婦2人で暮らしている家族、もう一方は若い夫婦二人と食べ盛りの子供が10人一緒に暮らしている家族、この2つの家族に其々どれぐらいのお米を配給するか。
老夫婦2人には、もうそんなに食べないから1キロ。一方、子供が10人いる家族は、なんせよく食べるでしょうから10キロ配ろう。…と判断するのか。
もしくは、この老夫婦2人は病気がちで、いろんな人が心配して訪ねてくれるだろうから、その方々のお礼の分も加えて多めに配給しよう。一方、食べ盛りの子供が10人家族は、子供とはいえ十分に働ける年齢でもあるから、自分で田畑を耕し農作物を作ることができるので、米は少なめに配給しよう。…と判断するのか。

と言ったように、配給量は料理人の考えに委ねられたそうです。

理を持って米をはかるこの「料理人」とは、相手のことをよく知り、考え、それに見あった食べ物を必要なだけ配る、という重要な仕事をする人であったというわけです。

話を現在に戻しまして、そういうことでいうと、私は世界で一番優れた料理人というのは、誰かというと、私は「お母さん」だと思います。(もちろん、お父さん兄弟でも良いんです。家族のために料理を作る役割を果たしている人のことをお母さんと呼ぶとすると、ということです。)

例えば、子供と一緒に生活をしていて、子供がなんだか体調悪くなりそうだったら、自然に、ご飯をいつもより柔らかく炊いたり、消化の良いものを多くして、など、お母さんは頭で考えるより、体が勝手に子供の状態を察知して、勝手に自分の体が動くのだと思います。
子供のことを一番よく見ていて、考えて、必要な食事を与えているという点で、優れた料理人というのは、三つ星レストランのシェフでもなく、優れた味覚と技術をもった和食料理人でもありません。世のお母さんなんだと、私は思います。

まあ、そもそも料理という言葉は、食事周りのことだけでなく、「相手や物事をよくみて、うまく処理すること。」という意味合いもあります。「こいつは、、一体どうやって料理してやろうか」っていう言い方しますよね。相手を知って「制する」という意味合いでも使われます。

「理を持って米をはかる」=料理は、人や物事に対して、自分で筋道をたてて考え、自分なりの行動を起こすことなのです。

それと、この料理、必ず、相手がいなければ成り立たないことでもあります。キャッチボールと一緒です。相手がいることで成立する、大事で幸せなコミュニケーション、交流だと思っています。

このブログを読んで下さってる方の中に、お料理は苦手、なんて思ってる方がいらっしゃいませんか?。心配入りません。まず、家族や友達、仕事仲間のために、相手の気持ちや体のことを思いながら、真剣にコップ1杯の水を適量注いで差し上げてみてください。これも立派な料理であり、こんなことから、人と一緒に仕事や生活をすることが、始まるのではないかと、私は思います。